大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋家庭裁判所 昭和54年(少)12号 決定

少年 N・Z(昭三九・六・八生)

主文

少年を初等少年院に送致する。

理由

(非行事実)

1、昭和五三年一二月一六日付名古屋市児童相談所長作成の送致書の審判に付すべき理由記載の事実及び

2、昭和五四年一月五日付司法警察員作成の少年事件送致書記載の犯罪事実のとおりであるからこれをここに引用する。

(法令の適用)

1の事実は少年法第3条第1項第3号イ

2の事実は刑法第二三五条

(保護処分に付する事由)

1  少年は現在中学二年に在学するものであるが、そのぐ犯、非行傾向はかなり早期から発現し、昭和四七年四月小学二年生の時車上盗、侵入盗など五回があつて、昭和四八年四月小学校三年生の時に名古屋市児童相談所による児童福祉法第二七条第一項第一号の措置を受け、昭和四九年一〇月小学校四年生で同種窃盗を行い、昭和五〇年二月上記相談所により同条第一項第二号の措置を受け児童福祉司の指導下におかれたが、この頃から家出、鹿児島への出奔(三回)などがあり、昭和五一年六月、九月にはそれぞれ東京へ家出するなどの事があつて同年一一月五日教護院玉野川学園に入園した。しかしその後もしばしば無断外出を繰返して車上盗、侵入盗を行うところから昭和五二年一〇月八日名古屋市児童相談所長から名古屋家庭裁判所に対し強制措置申請が行われ、同月三一日同裁判所において同日以降一二〇日を限度とする強制措置の許可が行われ同年一一月四日から国立教護院武蔵野学院へ措置入院された。同日から昭和五三年四月一〇日浦和家庭裁判所に再度の強制措置申請が行われるまでの間通算計一三四日の監禁寮処遇が行われ、この間に三回の無断外出、自転車、現金、衣類等の窃盗を行つている。同年五月二二日浦和家庭裁判所において同日以降通算一八〇日の強制措置が許可された。上記再度の申請当時からも武蔵野学院第二観察寮(監禁寮)での処遇が続いて居り、同年九月四日ソフト大会に参加中無断外出、同日保護、同年一〇月二一日マラソン中逃走、翌日帰院、同年一二月一四日マラソン中に無断外出、非行事実二の窃盗を行つたものである。武蔵野学院における監禁寮での処遇は三〇〇日を超えておりこの間自傷行為(少年によれば自殺念慮による)を行い、又室内において興奮爆発行動等があつたものである。少年をしていわせれば監禁寮における長期に亘る単独処遇により発狂状態にあつたということである。

2  少年は馬丁をしていた父と無職の母との間に出生し、当時○○競馬場の廐舎に居住していたが、父が暴力団と関係を持つて競馬用馬に細工をして警察に捕つたりすることがあつて、名古屋市の廐舎に移り住みその後同市内等の各廐舎を転々としていたが、父が怠惰であるうえ、賭事を好み借財が増え、昭和四五年ごろより、家計維持のために母は長島温泉に仲居として働らくようになり、少年が小学校入学ごろから父母によつて放任され躾も行われない状態の中で学校内で粗暴な行動が現われ昭和四七年四月の初発非行はこうした家庭環境を背景として行われている。当時の担任教師によれば三度の食事も満足に与えられていない日があつたようである(小学校長作成の調査表)。又昭和四九年五月には父が家出し近所のAに一六万円の借金を残し、母が働いてこれを返済したが、その後A(その妻は精神分裂症)と母との奇妙な共助関係が続いている。

同年八月父母は離婚し、そのころから少年の再度の窃盗等の非行が始まり、鹿児島、東京への重なる家出が行われているが、これらは家庭に対する安定感を欠き、学校にも適応できない疎外感など欲求不満の持続に耐えかねた少年がそのハケ口や逃避の手段として非行家出(できるだけ遠距離の脱出)をはかつたと考えられるのである。

これに対して周囲の対応はますます厳しくなり児童相談所による一時保護、逃走、教護院収容、逃走、非行とエスカレートし、結局強制措置の繰返しとなり長期の強制措置(監禁寮の単独処遇)が益々少年の被害感を助長し対人憎悪を高め、人格の歪みを深めて行つたと考えられる。

3  少年は知能指数は普通にあるが、学習が不足し、武蔵野学院長の照会回答書によると漢字力は中学一年程度、数学は小学校六年程度まで進んだということであるが、年齢に比し低い状態にある。鑑別結果通知書(二通)によると性格的には自分の欲求や感情を通してしか物事を受止められず周囲の人は自分の味方か否かであり、従つて人と協調したり安定した関わり合が持てず被害感や不満感を抱き易い。情緒不安定で被暗示性強く、気分易変的、衝動的である。依存心や甘えが強い反面対人的信頼感が保てないなどが指摘されて居り、総じて未成熟な人格構造であることが窺われる。

4  以上諸点に鑑みると、少年に対しては先づ人間に対する基本的な信頼関係を養うことから始まり、気長に人格の成熟を計ることが必要であるが、現段階で社会内でこれを行うことは家庭の保護能力の乏しさと非行の習癖の状態から見て著しく困難であり、収容は止むを得ないところがある。その場所としては教護院における強制措置は不適であり、非開放施設ではあるが集団処遇が行われる少年院の方が少年にとつて適当であると考えられるので初等少年院に送致する。集団処遇の中で少年の心に働らきかける個別処遇を期待したい。

よつて少年法第二四条第一項第三号、少年審判規則第三七条第一項、少年院法第二条第二項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 土井博子)

別紙

一 児童相談所長作成の送致書記載の「審判に付すべき理由」

審判に付すべき理由

I 少年は小学校四年の時から問題行動が始まり、家屋侵入盗(現金)、自動車の中より現金を窃取し、当児童相談所にて、昭和四八年四月二〇日に児童福祉法第二七条一項一号措置をした。

その後昭和五〇年二月五日より児童福祉法第二七条一項二号措置をした。措置理由は菓子卸商方路上駐車の中古普通貨物自動車内より菓子、玩具など見積七、一四六円相当を友人と窃取したためである。

児童福祉法第二七条一項二号措置中、怠学、家出、排回があり、家出中は九州まで行つていたことがあり、当所の一時保護所に収容をしたが無断外出をくりかえしていた。

昭和五一年一一月五日に少年が家出、怠学、などをくりかえすため、児童福祉法第二七条一項三号措置に措置変更し、教護院玉野川学園に措置をした。玉野川学園に措置後計八回の無断外出をし、その間、自転車盗、侵入盗、車上狙、新幹線の無賃乗車、現金盗等をくりかえした。

このことにより昭和五二年一〇月八日名古屋家庭裁判所にて、児童福祉法第二七条の二により強制措置を申請し、昭和五二年一〇月三一日に強制措置通算一二〇日の審判がおりた。このため昭和五二年一一月四日に国立武蔵野学院に措置変更をした。

II 国立武蔵野学院に措置後、昭和五二年一二月一九日に少年は他少年一名と無断外出をした。同年同月二〇日に名古屋市港区内にて少年は車上狙いしアタックケースの窃取及び強盗未遂をし港署に補導され、武蔵野学院に帰る。港署より通告書を受ける。昭和五三年一月一三日武蔵野学院より再度無断外出を単独でする。昭和五三年一月二一日港署にて窃盗、車上狙で補導され、一月二二日武蔵野学院に帰る。昭和五三年三月一一日、再度武蔵野学院より他少年一名をさそい無断外出をする。昭和五三年三月一三日愛知県岡崎署にて侵入盗(小屋荒し)で補導を受けた。少年は名古屋家庭裁判所にて、強制措置通算一二〇日をつかいはたしたため、武蔵野学院より児童福祉法第二七条の二による強制措置の追加措置申請の申し出があり、当所にて埼玉児童相談所を通じ埼玉県浦和家庭裁判所に児童福祉法第二七条の二による強制措置追加申請をした。昭和五三年五月二二日付で通算一八〇日の強制措置の決定がなされた。昭和五三年一〇月二一日武蔵野学院より、少年は他の少年をさそい無断外出をする。

昭和五三年一〇月二三日埼玉県蕨署に保護され学院に復帰した。昭和五三年一二月一四日少年は他の少年二名をさそい無断外出をし現在に至る。武蔵野学院より措置変更意見が出された。少年に対し一定の行動を制限する。強制措置をつかい教護に計つて来たが少年に何んら反省の色もなく落着かない。教護措置に乗らないため、安定した性格矯正が計れる少年院送致が必要と考えられる。

二 司法警察員作成の少年事件送致書記載の犯罪事実

犯罪事実

被疑少年N・Zは、昭和五十三年十二月十五日午後一時ころ、名古屋市港区○○町×丁目××番地先路上に駐車してあつた愛知県春日井市○○町×丁目××番地、空壜回収業B所有の普通貨物自動車運転席内から、同人所有にかかわる中古国防色カストロジャンパー壱着外一点見積価格五千円相当及び現金二百円を窃取したのをはじめとして、昭和五十三年十二月十五日、午後八時十分ごろまでの間に別添犯罪事実明細表のとおり自転車盗一件、事務所荒し一件合計三件、現金八百六十六円と中古国防色カストロジャンパー壱着外九点、見積価格弐万四千円相当を窃取したものである。

被疑少年N・Zに対する窃盗被疑事案犯罪事実明細表〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例